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中国史における皇帝(こうてい、 ())とは、一般に、紀元前221年に秦朝の政王が中国統一を機に始皇帝と号してから、辛亥革命を受けて1912年に愛新覚羅溥儀が清皇帝を退位するまでの中国の君主を指す〔退位後も溥儀は清室優待条件に基づいて1924年まで称号としての皇帝の肩書を維持した。また、袁世凱が中華帝国皇帝を称したが短期間で即位を取り消し、溥儀は、1917年に復位を宣言する(張勲復辟)が12日間で取り消し、1934年から1945年までは日本の傀儡として満州国皇帝を称したが、これらは僭称として扱われることが多い。〕。皇帝はまた、皇帝号が用いられる以前の周や殷の君主を含めて天子とも称され、天下(地上世界)の支配者とみなされた。実際には、すべての皇帝が中国全土における最高権力を握っていたわけではないが、その場合でも通常は「天子」と呼ばれた。 皇帝を同一の家系ごとに歴史上の各区分に分けたものを王朝と呼ぶ。中国の大半の帝政支配者は、漢民族に属すると通常考えられているものの、近年の学界では、現在の民族分類を過去の歴史的状況に適用することに慎重な傾向がある。モンゴル系民族および満州民族に支配された元王朝と清王朝は、史学上の通説では、外来の王朝が中国化されたものと考えられているが、近年の一部学者(たとえば新清史学派 New Qing History schoolの学者ら)は、両王朝では、通説よりもはるかに複雑なかたちで政治と民族とが互いに影響を与え合ったと主張する〔Sinicization vs. Manchuness: The Success of Manchu Rule 〕。とは言え、この両王朝の支配者はともに、中国本土を支配するのに、天命という伝統的な儒教に基づく皇帝の概念を必要とした。 ==起源と歴史== 周の時代、特定の世襲の領地に対する権力を有した中国の封建的な支配者はと呼ばれたが、殷王や周王の権力が衰えると、公が王号を僭称し始めた。 紀元前221年、秦の当時の王が戦国時代の各王国を征服すると、それまでの支配者をしのぐより強大な支配者としての威信を示すために新たな呼称を採用し、始皇帝と自称した。それまで皇や帝は、中国神話や先史の三皇五帝を指す名義的な呼称であった。三皇は天空を支配し土塊から最初の人間を作る偉業を成したと信じられた神話的な支配者であり、五帝は、農業や衣服、、を発明したとされる文化英雄であった。紀元前3世紀以前に、「皇」と「帝」の2つの呼称を合わせて用いることはなかった。しかし皇の神のような権力や帝への崇拝、帝の字を「天帝」のように神を表す名称に用いたことなどにより、「皇帝」の称号は、「神聖」や「神君」の意味を含むものと理解されていたと考えられる。こうした意味で、現代の学者の中には中国史における「皇帝」の称号を「thearch」(神君)と訳す者もいる〔Nadeau, Randall L. ''The Wiley-Blackwell Companion to Chinese Religions'', pp. 54 ff. John Wiley & Sons (Chichester), 2012. Accessed 22 December 2013.〕。 しばしば、即位した皇帝の父がまだ存命中のことがあり、その場合、皇帝の父は、太上皇と呼ばれた。この慣習は、始皇帝が自身の父に「太上皇」と諡号したことに起源を持つ。漢を建国した劉邦は、父が存命中に即位した最初の皇帝であるが、平民であった父から礼を受けることのないよう、父の存命中に「太上皇」の称号を与えたと言われている。 その後何世紀にもわたり中国が四分五裂し政治的統一が図られなかったことが原因で、「中国皇帝」号を自称する者が多数出現することもまれではなかった。征服者らは多くの場合、天命という中国の政治的な概念を用いて、自らの称号を正統化した。誰を正式な君主とみなすかは、王朝正史によって定まると考えられていた。つまり、前王朝史の編纂を行うことは、九鼎や伝国璽のような帝位の象徴物と同様、現在の王朝の正統性を証明するものと考えられていたのである。始皇帝のように、統一者が事後的に祖先に諡号を授けることは非常に一般的であったが、しかし中国の正史でも、そのような諡号があっても、新王朝成立の有効な布告以前の者を皇帝とみなすことはしていない。 元王朝や清王朝は、外部からの侵略者の征服により建国されたが、両王朝ともやはり中国支配の一環として、王朝樹立の正式な宣告儀式を行い、また民族固有の称号に加え「皇帝」という中国式の称号を称することとなった。たとえばクビライはモンゴルのカンであり、同時に中国の皇帝でもあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「皇帝 (中国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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